第1話
6回『ああああっ! わたしのお城が、とんでもないことにっ!


「にゃにゃにゃーんっ♪
ミルクの次は、
おいしいご飯ですよー♪」

ミルクが入っていたボウルを布巾で綺麗に拭き取ると、
今度はドライタイプのキャットフードを入れました。

茶色い粒の、
ペットショップで食べていたのと同じものです。

きっと、ペットショップのお姉さんに
言われるままに買われたのでしょう。

美味いとも不味いとも思わず、
腹を空かせるよりはマシだ程度に食べているものですし、
ぼくは特にグルメという訳ではないですから、
不平不満なしに
一粒を口に入れたらボリボリと噛み、
飲み込んだらまた一粒と、
食事を始めました。

味はといいますと、
相変わらずなものです。
味覚としては馴染めるものではありませんが、
本能的に食い物だと教えてくれますから、
問題ないでしょう。


「えへへ〜、
可愛いにゃーん。
こんな可愛い猫にゃんと、
ずっと一緒にいられるなんて、
私は世界一幸せな
おんにゃのこにゃにゃーん♪」
「美味しそうに食べてるけど、
キャットフードって、
美味しいもんなのかな?」

キャットフードを指でつまむと、
くんかくんかと臭いを嗅いで、
自分の口の中に放り込みました

ポリポリと奥歯で噛んでいく音がします。
最初は勢いあったのですが、
そのうち
噛む動作がゆっくりになりました。

「んー、微妙。
…というかまずい」

人間としても馴染める味ではなかったようです。
はき出しそうにしますが、
勿体ないと思ったのか、
ごくんと飲み込みます。


「猫ってステーキ食べるのかな?
ヤマドリ、こんなんじゃなくて、
今度、食べ残しのステーキ持ってくるね。
そっちの方がきっと美味しいよ。
わたしってねステーキ屋の
バイトをして……」
「うわああぁぁぁぁーーーっ!」
「わたし、
バイト行く途中だったの忘れてたっ!」

 急いでケータイを取り出します。


「店長! ごめんなさい!
ごめんなさい!
猫にゃん、にゃんにゃんだから、
にゃんにゃんでした!

ぼくに向かって、
土下座するようにペコペコと謝っていました。

………。
……。
…。


「やっぱお風呂は
ひとりよりふたりに限るのだ!
ネコにゃんきもちいーっ!」


風呂に入れられるという、
一歩間違えたら
釜ゆでの刑か溺死になりそうな体験をしました。

ご主人さまは部屋の電気を消すと、

「おやすみシャンプー」

と、ぼくを持ったまま、
布団の中に入りました。

にっこり見つめて、
「えへへ」
と喜ぶご主人さまの瞼が少しずつ閉じられていき、
数秒後には寝息を立てました。


おやすみタイムです。

今日は色々なことがありましたので、
体が疲れてしまっています。

ぼくはご主人さまの傍で丸くなり、
柔らかい感触に浸りながら、
夢へと入っていきます。

………。
……。
…。

…のですが、
猛烈な痛みと共に現実に戻されました。






またも胸です。
ご主人さまが寝返りを打ち、
ぼくの体に倒れ込んできました。
むしろ今度は、
大きな胸がクッション代わりとなってくれて、
ぺしゃんこにならずに済んだのかもしれません。

ほふく前進をして、
ご主人さまの重みから抜け出ました。


ご主人さまは布団を床に落とし、
パジャマのズボンを太ももまでズラし、
カエルのプリントがしてあるパンツから
お尻の割れ目がやや見えていました。

足がゴキブリのようにガサガサと動きだすと、


「じゃーいあんと…
ボンバーっ!

と寝言をあげながら、
突き上げ、
引っ込め、
突き上げと、
枕にパンチをしていきます。

ソファーベッドとはいえ、
外人サイズの大きなベッドを寝床にしているのは、
寝相が悪いからなのでしょう。

同じ布団で寝る身としたらたまったものじゃありません。

 折りたたみ式の座卓の上にある
コミックの上で寝ようかと思いましたが、
一度目が覚めた身、
眠気などふっとんでしまいました。

良い機会なので、
ご主人さまの部屋を探索することにします。


「………」
「ご主人さまのお城にいる
ペットたちのなかで、
その強烈な顔つきと、
存在感ある貫禄と、
ぼくより何倍ものある巨大さにて、
あなたさまがボスであると
お見受けしたのですが、
違うのでしょうか?」
「………」
「ぼくは新人の身の上。
先輩ペットさまにご指導ご鞭撻を
お願いしたいのです」
「………」
「いつまでも黙っておらずに、
なにかおっしゃってくれませんか?」
「………」
「なにを言っても無駄なようですね。
しょうがありません。
あなたさまが沈黙を守るのなら、
ぼくが勝手に、
この屋敷のボスとなります。
それでもいいのですか?」
「………」
「うんともすんとも言いません。
これはおかしいですね。
さてや、
生き物ではないのでしょうか?」

ぼくはチンパンジーにパンチを入れました。
倒れません。
さらにパンチ。
びくともしません。

言葉を発することも、
動こうともしない。
いつも同じ表情で、
じっとしているだけです。


「………」

しかし、この顔です。

「猫など人間の玩具じゃねぇか」

と馬鹿に仕切っているかのように
生意気です。

チンパンジーの意見は
全くの的外れであると断言しましょう。

猫は人間よりも格上なのです。

なにしろ、
猫が「にゃあ」と鳴けば
人間は
「かわいい!」
とコロッと手懐いてしまうではありませんか。

エサを与えてくれ、
寝床まで用意してくれる。
至れり尽くせり。
人間とは猫にとって都合の良い従者なのです。



「ネコは天下な生き物なのです。
そんなネコ様に対して
小馬鹿にした顔を向けるなんて、
大変に失礼なことなのです。
観音様のように優しいぼくだろうと、
生意気なあなたには、
鬼となり、
地獄を見せてさしあげましょう。
お覚悟すべしです」

ぼくは、チンパンジーに歯で攻撃をしました。
ぐぃぐぃと引っ張ります。
奴めはなすすべなしです。
さらに強く噛んでやると、
腕が取れて中の
白い綿
が出てきました。

ぼくは体内にある綿を、
空腹のライオンのように、
勢いよく取り出していきます。



チンパンジーはバラバラにされ、
無惨な死体に変わりました。

いい気味です。
猫は人間よりも、
チンパンジーよりも
偉いのであります。
猫ほど、
この世の天下はありますまい。


これでぼくは、
ご主人さまの家の
大ボスとなったのであります。


「おや、あれはなんでしょうか?」

宙に干された布きれが気になりました。
テレビ台の前は、
背の高い室内物干しが置かれてあります。

Tシャツ、
カーディガン、
ブラジャー、
下着、
靴下、
タオル、
などなどご主人さまの使用済み類がかかっていました。

ぼくはジャンプして、
ご主人さまのブラジャーを狙いました。
けれど、背が届きません。
他のもチャレンジしてみますが、
どれも上手くいきません。


ぼくはテレビ台の上に乗ります。
写真立てなどを落としながら、
物干しの前に来ました。
狙いをさだめ、
力一杯に飛びました。
爪がシャツに引っかかります。
ビリッと破けていって、
地面に落ちそうになりました。


「おっと、こりゃいかん」

シャツに噛みつきました。
しかし、
ぼくがジャンプした勢いにより揺れていた物干しが、
横にグラグラ大きく傾くと、

ガッシャン!

大きな音を立てて倒れてしまいました。

ご主人さまの服に埋もれたぼくは顔を出します。


「きーんてーきっ!」

ベッドの上のご主人さまは、
片足を上げていました。
すぐに下がっていきます。
さきほどの大音量でも起きることはなかったです。


「おや、
これはかじりやすそうです」

ご主人さまのパンツです。

事細かな模様がしてあって、
ぼくの口に合いそうでした。
それをかじり、
引っ張ったり、
手で押さえたりして、
遊んでいきます。

パンツは次第に伸びていって、
パチっと洗濯ばさみから離れました。
その反動からぼくは背中から転がっていきます。

酷い目に遭いました。
しかしペットショップでは出来ない冒険が出来て楽しいです。




ご主人さまのパンツはしぶといもので、
僕の尖った歯に引っかかっていました。
手を使って取ろうとしても、
ぼくから離れてはくれません。
しかたがない。
ご主人さまの体臭が強くしますが、
暫くはそのままにしておきましょう。


「…はてな?」

本のページを破いたり、
爪を研いだりしていると、
尿を出したくなってきました。

我慢は体の毒です。
排泄物を出してすっきりしましょう。

……とはいえ、
ペットショップのお姉さんに
糞尿しても許される場所を教わっているのですが、
部屋を見回してもそれらしき所は見つかりません。

下半身を露出したご主人さまが、
真っ白で真ん中が空いている椅子に腰掛けて
うんうん唸りながら
「今日も出ない〜っ」
としょげていた場所がありますが、
あそこは人間用。

猫の身ではちと難しいです。


自然界の掟ゆえ、
猫にて立派な生理現象をもっておりますので、
それを阻止することは不可能であります。


「トイレがない。
つまりは、どこでしたってよいのでしょう」

そのように、
解釈することにしました。

………。
……。
…。


チュンチュン…。

朝の光にて寝覚めというには
きわめて遅い時間に
ご主人さまは起床いたしました。

「ああああっ!
わたしのお城が、
とんでもないことにっ!」

映像で表現するなら
モザイクが必要となりそうな部屋の惨状に、
眠気を忘れて驚愕とします。


 破かれたコミックや雑誌を見て
「ひゃあ!」

洗濯物が散らばっているのを見て
「ひゃあ!」

ぬいぐるみのバラバラ死体を見て
「ひゃあ!」

小便まみれになったカーペットに
「ひゃあ!」

ぼくのうんちを踏んづけたことに
「ひゃあ!」

ぼくがくわえたパンツに
「ひゃあ!」

ご主人さまは、

「ひゃあひゃあ!」

お祭り騒ぎとなりました。

「わたしのパンツがーっ!
お気に入りがぁぁーーっ!
ボロボロォーっ!」

ぼくの前歯に引っかかっている
無惨なパンツを引ったくると、
両手で引っ張り、
泣きべそを掻きます。


「パンツロウ、駄目だよ、
こんなことしちゃあ。
さすがのわたしもぷんぷん
になるんだからね」
「ニャー」
「かわいい…」
「うう…。
怒りたいのに、
そんな可愛い顔されると
怒れないじゃん」

人間なんて単純な生き物です。

「はぁ、
掃除しなきゃ」
「うう…
この惨状をどうしようっていうの。
どっから手をつけていいか
分からないよ」
「よし! 見なかったことにする!
これは夢だ!
わたしは寝るぞ!
そしたら、
小人さんがなんとかしてくれるんだ!」
「…なわけにはいかないよね。
すごい臭いもん。
まずは、うんちをどうにかしよう」

ずぼらなご主人さまでも、
足に付着したうんちは嫌だったようで、
まずは排泄物の掃除から始めました。


「でも、なんで…?
ペットショップのお姉さんは
ちゃんとトイレの躾ができてる
って言ったのに、
ちゃんとこの耳で、
しっかりと、
聞いたのに。
出来てないじゃん。
うそつき。
あそこはやっぱり
インチキペットショップなん……」
「…ああああああっ!
ウンチラのトイレを
作るの忘れてたぁーっ!
「ごめんね、マンジル。
ずっとトイレいきたいの
我慢してたんだよね?
なのに、トイレがどこにもないから、
そこらでしちゃったんでしょ?」
「駄目なのは、わたしの方でした。
ごめんなさーい!

そのとき
ブーッ!
と来客のベルが鳴りました。


「わっわっわっ!
こんなときに、えっとだれっ!」

ご主人さまはドアの方を向きます。
足のつま先で静かに進んで、
片目を瞑って、
ドアスコープを覗きます。

「わわっ、カナメちゃんだ、
これはヤバイよ、
どうするわたし!」

聞こえないようにでしょう。
声のボリュームが下がっていました。


「ナツミさーん!
いますよねーっ!
声聞こえましたから、
居留守はできませんよーっ!」
「はーいはいはいはい!
います、隠れません!
居留守なんて、わたしは
10回以上しかしてません!」
「多すぎ!
つーか、一回でもするな!」
「今いくから、
ちょっとまって!」
「パンシャツ。
ここに隠れていてね。
出てきちゃ駄目だよ?」

ご主人さまは、
ぼくをダイニングに戻し、Tシャツの中に入れました。



第7回『行きましょう。ぼくもネズミという奴を食ってみたいです』
に、つづくであります



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