第1話
7回『行きましょう。ぼくもネズミという奴を食ってみたいです


「あ、やっと出てきた。
ドタバタ、なにやってたんですか?」

中学一年生の、
大家の孫娘であるカナメです。

留守がちのおじいさんに変わって、
ご主人さまのいるマンションの集金に回っている、
しっかり者の女の子でした。

「えっへっへ〜、ちょっとね、
寝起きのかる〜い体操を…」
「家、壊さないでくださいよ」
「大丈夫、大丈夫。
わたし、壁にちょっぴり
穴あけるぐらいしかしてないもん」
「壊さないでください!」
「それで、なにかなカナメちゃん?
お姉さん、こう見えても、
とっても忙しいんだよ」
「なんで、んなにも、
きょどっているんです?」
「えええ、なにがどう、
きょどってるように見えるのかな? かな?
わたしはいつもの、
ナイスガイなわたしだよ」
「いや、ガイは男だし。
なんか、悪いことしてますね?」
「ななな、ないない。
なんにも、なななな、
ないんじゃらよ」
「なんでこうも、
分かりやすいのかな、
この人は…」
「わたしなーんも隠し事してないよ」
「………」
「なに、なに、カナメちゃん。
今日も可愛いね。
将来はきっと、わたし以上の
ポッキュバーンダフルに、
なれちゃうよ」
「まあ、いいや」
「…ほっ」
「………」
「…カナメちゃん、
どうしたのっかっな?」
「あからさまに
ほっとしたものだから、
呆れたんです」
「ほっとしてないよ。
カナメちゃんの可愛さに、
見とれたんだよ。
カナメちゃんをおかずに、
ご飯十杯は食べれちゃうね」
「気味悪いこと、
言わないでください」
「それで、
可愛い、可愛い、
可愛すぎるカナメちゃん。
わたしになんか用かな?」
「今月分の家賃をお願いします」
「………」
「ナツミさん?」
「…カナメちゃん、
わたしになにか用かな?」
「今月分の家賃お願いします」
「なにか…」
「今月分の家賃」
「何か言ってるような気がするんだけど、
わたしの耳には聞こえてこないよ。
カナメちゃん、
ちゃんと日本語話してる?」
今月分の家賃
払えといってんの!
「家賃…。
それって食べ物だっけ?
たしか、果物の一種だよね。
レモンの10倍すっぱくて、
罰ゲームによく使われるんだよ」
「ナツメさん、
今日中にここから出て行ってください」
「や、やだなぁ。
家賃だよね。家賃、家賃。
カナメちゃん、
『や』を取って、その言葉を
10回言ってくれると面白くなるよ」
「家賃を払ってください。
家賃を払って下さい。
家賃を払って下さい」
「だから、『や』を取ってだよ、
ちんちんちんちんと…」
「おのれは小学生のガキか!」
「わたしは大学生だよ。
とっても大人なんだ」
「じゃあ、大人の女性らしく、
家賃をキチンと払ってくれますよね?」
「…う」

「家賃」が恐怖の呪文であるように、
主人さまは困惑とします。

昨日の午後までは払えたのですが、
今日は払うことができません。

ぼくを買ったことで、
ご主人さまのお金がすっからかんとなってしまっています。


「えっとね、
バイトのお金、
まだ振り込まれてないから、
もう少し、待っててくれるとうれしいな」
「以前も、
そう言って3ヶ月ため込んでましたよね?」
「やだなぁ。
その時だって、ちゃんと払ったじゃない」
「払ってはくれましたが、
『そんなにすんの、高い、
金がないからまけろ』
としつこく言ってきましたよね?」
「あー、あはははは、もうしないよ。
払わないわたしが悪いんだもん、
これからは心を入れ替えることを決めました。
真面目にちゃんと払うよ」
「じゃあ、今月分」
「………」
「払ってください」
「えっと、わたしのおっぱい、
ひと揉み一万円で売るから、
買ってくれないかな?」
「いるかぁーーっ!」
「か…かいわれだいこん」
「は?」
「しりとり。
わたしの負けだね、ははははは」
「もうやだ。
なんなの、この人…」

理解不能なご主人さまとの
言葉のキャッチボールに、
疲れ切った様子で、
大きな溜息をついております。

「あれ?」

部屋の方に向けて、
鼻をくんくんとさせます。

「えー、な、何かなー。
何もないよ、そうだよ、ほんとうだよ」
「部屋、臭いません?」
「臭わない、臭くない、
いつものことだよ」
「いや、あきらかに臭いです。
なにこれ? ちょっと入りますよ?」
「わーっ! わーっ!
駄目駄目、今は駄目ーっ!」
「なにかありますね?」
「何もないけど、
今は駄目駄目のだめカンタービレ!」
「絶対何かあるから、
入ります」
「プ、プライベートの侵害なのだ。
これ以上はいるなら、
訴えるであります」
「家主はわたしです。
本当はおじいちゃんだけど、
それらしいこと全然やってくれないし。
住民があやしいことをしてるなら、
それを確認するのが
わたしの仕事なんです」
「あやしいこと、してないしてない、
全然してない」
「じゃあ、これはなんですか?」

部屋を指さします。

「えっと、それは…」

ご主人さまは、ビシッと片手を上げました。


「わたしが、
おねしょしたからです!」
「………」

カナメは
珍獣を見るかのような目線を
ご主人さまに送りました。

「部屋、荒らされてますよね?」
「わたしが眠りながらやっちゃいました!」
「どうやって?」
「それは眠りながらだね、
立ち上がって、
えいっ! やっ!」

パンチしたり、キックしたりします。


「そうです、格闘の夢を見ていたのです。
敵はアンドレ・ジャイアント。
わおっ、なんというでっかさだ。
わたしはそやつと激闘をくりひろげる。
その、代償にわたしの城は、
どんどんと破壊されていった。
しかし、わたしは、
正義のため、
地球のため、
この世のあらゆる微生物のために、
ボロボロになろうと、
戦わねばならなかったのだ!」



カナメから冷たい目線をあびる中、
ご主人さまひとり格闘技をします。

「一撃必殺ロケットパーンチ!
しかーし、アンドレは強かった。
足でちょんとキックをしたら、
わたしの急所に激突した。
夢の中のわたしは男だった。
キーン!
時間は止まった。
金的とは想像を絶する痛みだ。
女でよかったと、
目が覚めたときに心から思ったよ。
わたしは金的攻撃の苦しみによって、
おねしょをしていたのです!」
「………」
「そーいうわけなのだよ、カナメくん」

 ご主人さまは、フンと鼻息を鳴らし、
上手いこと言ったと誇らしげになっておりますが、
カナメは
「この人の頭大丈夫?」
と病院に連れて行くべきか心配しておりました。


「ねっ、だから
部屋のお片付けしなきゃならないし、
お金を用意しておくから、
ほんの少し待っててくれない?」
「分かりました。
後でもう一度伺います」

律儀にお辞儀をすると、
カナメは去っていきました。


「おじいちゃん、変な人を受け入れすぎ。
うちのマンションって、
ろくなのいないなあ」

廊下を歩くカナメの独り言が聞こえてきます。

 それを聞こえないご主人さまは、

「はぁ、
女として色んなもん失った気がするけど、
なんとかごまかせた〜」

と、
ドアに背中を付けて安堵していました。

「よーしっ!
カナメちゃんがもいちど来るまえに、
わたしのお城を綺麗にしちゃうぞ!
がんばっ! おーっ!」

元気を取り戻したご主人さまは、
髪を結んで、
エプロンを装着。

水拭き用の不要タオル、
バケツ代わりの洗い桶、
フローリングワイパー、
ゴミ袋など掃除類を居間に持ってきて、
大掃除を始めます。


「わーっ! これ読みかけだったのに!」
「ヒヨちゃんから借りたマンガが
トンデモないことにっ!」
「お姉さまからのお誕生日プレゼント
モンキープーが、バラバラ死体!」
「ひゃーっ、1万2千800円の上着がーっ!」
「このカーペットもう捨てるしかないよね?
お気に入りなのに、うえーん!」
「うっぎゃあっ!
こんなところにもうんちっちっ!」

大騒ぎでありました。

ぼくがくつろいでいると
ご主人さまの足が襲ってきました。
急いで避けます。
別の場所でくつろいでいると、
またもやご主人さまに踏まれそうになります。

さらに移動し、
これでやっと静かに寝れると、
うとうととしてきた頃に、


「ごめんね、ヤマゴロウ」

と、
ご主人さまに邪魔をされました。

ご主人さまが慌ただしく片付けをしているため、
こっちが落ち着く場所がありません。


窓際へ移ってみると、
カーテンレースが揺れています。

強い風にふわっと吹かれてると、
ぼくの上を通っていって、
体を隠しました。

後ろへと下がってみれば、
小さな段差に転んでしまい、
ベランダに落ちてしまいました。

ご主人さまは臭いを消すため、
窓を開けっ放しにしていたようです。


「お掃除、お掃除、
らんらんらーん♪」


ぼくが外に出ようとも、
ご主人さまは掃除に夢中でてんで気付きません。

チャンスです。

ぼくはベランダの柵に近寄ります。

間隔が広くて
簡単に通り抜けすることができますし、
ご主人さまの部屋は一階にありますから、
庭の土はすぐそこにありました。


じっと真下を見つめ、
距離を掴むと、
覚悟を決めて飛び降ります。

地面に付ける時に足を踏み外してしまい、
転げてしまいましたが、
雑草と柔らかい土のおかげで怪我ひとつしません。

ぼくはおきあがりこぼしのように、
すぐに立ち上がりました。


ぼくは生まれて初めて、
自分の足で外の世界を立つことが出来たのです。




マンションの庭は雑草に覆われていました。
所々に白や黄色の小さな花が咲いています。
ぼくは暫く庭中を走って回りました。

タンポポの上に妙な生き物が止まっていました。
黄色と黒の模様をした華やかなアゲハ蝶です。



両目でぱちくりそれを観察していますと、
蝶は羽をはばたかせて、
まるで挑発するように、
ぼくの傍へとひらひら近寄ってきました。

鼻の先にやってきたとき、
即座に噛みつこうとしましたが、
ぼくの動きを予測していたのか、
ひらりとかわして飛んでってしまいます。

ザマーミロとあざ笑うかのように、
庭から出ようとするとき、
近くにある茂みがガサっと動いて、
黒くて大きな物体が蝶に向かって素早く飛んできました。



「ふん」

黒猫です。
ぼくより倍以上も体格のありました。


「けっ、
つまらんものを食っちまったぜ」

口にくわえた蝶を、
むしゃむしゃと食っていきます。

ごくりと飲み込むと、
ぼくの存在に気付き、
睨みつけます。

彼の片方の目は潰れていました。


「なんだてめぇ?」
「ぼくは、猫なのであります」
「猫なのは見てわかるんだよ。
てめぇがネズミだっつーほうが、
俺はビビるわ。
本当にネズミだとしても、
猫の形したネズミなんぞ食いたくもねぇな」
「ネズミとはなんでしょうか?」
「知らねぇのか?
ネズミっつーのは食いもんのことだ」
「それは、
キャットフードよりも
美味しいのでしょうか?」
「キャットフード?
ああ、てめぇ飼われてるのか?」
「はい、
そこのご主人さまの猫となりました」

ぼくはご主人さまの部屋を示します。


「あー、あのねぇちゃんか、
猫なんか飼いやがったのかよ、
いいのかねぇ」
「ご主人さまを知っているのですか?」
「ここらの猫界じゃあな、
変わり者で有名だ。
猫に会うたびに…」
『猫ちゃんにゃあにゃあ』
「…と挨拶してくるんだ。
ちなみに犬だと…」
『わんちゃんわんわん』
「…だ。
連れてる人間の飼い主が、
気味悪がってるぜ。
そーいや、てめぇの飼い主、
つい前に、
俺にマクドナルドのフライドポテトを
くれたことがあるんだ。
んなもん、ぱさぱさして食えるかってんだ。
はき出したらよ…」
『ぐあぁーん!
なんで食べてくれないの!』
「…てショック受けてよ、
『美味しいから食え食え』
と無理に食わせようとするんだぜ。
てめぇんところのマンションで、
コウモリ狩って、
満腹で心地よく寝てるときに邪魔しやがってよ」
「コウモリですか?」
「そこのマンション、
ネズミはそんなにいねぇんだが、
ゴキブリやコウモリなぞが潜んでいるんだ。
ボロいから住み心地いいんだろうな。
それを見付けて、
取って、
食うんだよ」
「人間さまも食えますか?」
「食ってみたいが、
その前にやられちまうな。
あいつら、
でっけぇぶん強ぇからな。
猫はネズミがせいぜいだ。
おまえ、
ネズミ食ったことあるか?」

自慢げに歯の牙を見せて質問してきます。
猫はネズミを食うのが当然のようです。
決まり悪くて、
食ったことあると見栄を張りたくなりましたが、
見え透いた嘘にしかなりません。

ここは正直に答えることにします。


「ご想像通り、
一口も食べたことがありません。
ぼくはそのネズミというやつを
食して見たくなりましたが、
どこに行けば貰えるのでしょうか?」
「貰うんじゃねぇ、てめぇで狩るんだよ」

黒猫は四本足で立ち上がります。
退屈したとばかりに背中を向けます。

「いずこへ参られるのでしょうか?」
「ネズミだ。
狩りに行くんだ。
来たきゃあ来いよ。
俺は生まれつき野良だからよ。
カカアにやりかた教わってたから、
なんとか生きて来れたんだ。
おまえ、ネズミの狩り方知らねぇんだろ。
どこでくたばろうが勝手だがよ、
死んだ猫見んのは決まり悪い。
付いてきたら、
教えてやってもいいぜ」

ありがたいお誘いでした。

しかし、
彼についていいものかと
少々迷いを生じました。

ご主人さまのいる部屋を見上げます。

聴覚で判断するところ、
どたばたゴミ掃除中で、
ぼくが抜け出したことに気付いてなさそうです。


「それともなんだ。
人間のねぇちゃんのところに帰って、
女々しく生きるか?」
「いえ、行きましょう。
ぼくもネズミという奴を食ってみたいです」

ぼくには未知の外の世界です。
何が待っているのか分かりません。

同じ猫である案内人がいるのは心強いことでした。



第8回『この子の名前、なんていうんですか?』
に、つづくであります



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