第1話
5回『ご主人さまのいえ』


「にゃーん、にゃにゃーん、
にゃんにゃんにゃーん。
にゃにゃにゃ、ほほーい♪」
「えっへっへ〜、ご到着っ!」

ぼくを両手で掴んで、
にゃあにゃあ猫語もどきの即興歌をうたいながら運ばれた先は、
三階建ての小さなマンションでした。

猫である身のゆえ、
色の識別は付きにくいのですが、
外壁はピンク色で派手に塗られてあって、
綺麗で目立つマンションを
演出されてはありますけれど、
上の角らへんが剥げかけてきていて、
オンボロなのは一目瞭然です。


「んーと、
だれもいない…よね?」

ご主人さまは、門前で足を止めて、
左右をきょろきょろと見回したり、
顔を伸ばしてマンションの入り口を確認したりと、
挙動不審な動きをしています。


「よし、だれもいない。
ハラマキ、ごめん、
ちょっとのあいだ、ガマンして!」

ご主人さまは
Tシャツの襟を伸ばして、
その中にぼくを押し込めました。



ぼくの体は、
ブラジャーに支えられた豊満な胸に
挟まれます。

谷間がぎゅうぎゅう締め付き、
強烈な弾力性をもって圧迫していきます。

息が苦しい。
体が動かん。
辺りは真っ暗だ。
ふにゃあと鳴こうにも、
口が上がらない。

人間の胸というのは、
生まれたての子にミルクをあげる役割以外に、
猫を押しつぶして殺すという凶器を隠し持っているのだと
この時初めて知りました。

ご主人さまは成人近い女人の中でも
小柄な方でありますが、
胸だけは無駄にでっかく育ってしまい、
下から持ち上げたなら
ぼく専用のソファーが完成しそうなぐらいです。

のちの話となりますが、
ご主人さまは風呂上がりの裸の状態で体重計の上に乗って、

「やせない〜」

としょげることが多々あるのですが、
ぼくの結論からいいますと、
これ以上痩せたいのなら
栄養分を摂取せず不健康にならない限りは無理なことです。
ご主人さまが気に入らないでいる体重分の殆どが
ビックサイズの胸に詰まっているのですから。

そんな両側にある巨大な胸に攻撃される最中のぼくは、
このままでは確実に窒息死です。

「こりゃ参った、助けてくれ」

と後ろ足をジタバタと動かして、
脱出を計ろうとするのですが、


「わわっ、動かないで!
くすぐったい、あはははははっ」

ご主人さまは笑いながら、
両手で厳重にぼくを固定させて、
動きを阻止してきました。

ご主人さまは走ります。
体が上下に振るえます。
ご主人さまの素肌に密着するぼくは、
息苦しさから耐える他ありません。


「もう、大丈夫。
ぽこたん、出てきていいよ」

光が見えました。
息が楽になります。
ご主人さまが裾口を引っ張り、
出口を作ってくれました。
窮屈な胸の間を通り抜け、
Tシャツをするりと抜けると、床へと着地しました。

それと同時に、
パチっという音がしました。
ご主人さまが照明のスイッチを押したようです。

「たっだいまーっ!
じゃーん、
ここがわたしのお城なのでーす!」

手前はキッチン、
左の扉にはお風呂とトイレが一体化したユニットバス、
奥は六帖の洋室の
1DKのシンプルな部屋でした。

リビングの左の壁には
3人掛けソファーベッドが占領してあります。
引き出せばダブルベッドになる大きなタイプで、
その上には、
布団と枕と未知なる巨大動物が置いてありました。

動物集めを趣味としているのでしょう。
ご主人さまの部屋は、
ぼくよりも大きな動物が方々に散らかっていました。
生き物のようなのですが、
どれも、微塵と動きもしません。

「あなたさまも、
ご主人さまに飼われている
ペットなのですか?」
「………」

その中の一匹である、
猫のことを
小馬鹿にしたようにニヤケる
動物(チンパンジーというんだそうです)
に声を掛けてみたのですが、

「黙れクズ」

とばかりに、反応を示しません。

一体こやつらはなんなんでしょう。
言葉を発せず、動きもせず、
生き物のにおいすらしません。
隙を見せれば
一斉に動き出して、

新参者のぼくを食うのではないかと
不安になってきます。


「もんきーにゃーん、えへへぇ、
こっち、おいで〜」

束になった少女雑誌の上の載っていたぼくは
両脇をつかまれて、宙に浮きました。

ぼくを掴んだご主人さまは
ソファーベッドに倒れ込みます。


「かわいーにゃー、
お姉さまに、
お金を借りれて、
よかったにゃんにゃーん」

ぼくを手にいれた喜びで脳みそが狂ったのか、
人間語が壊れています。


「お姉さまは気が利くなぁ。
3万で足りるって言ったのに、
他にも色々買う必要あるんだから
持ってけって
5万も貸してくれたのです」
「それなければ、
ワクチン、エサ代、
足りなかったよ」
「ペットショップのお姉さんは
嘘つきなのです。
7万でいいって言ったのに、
それじゃお金が足んないじゃん」
「あれは詐欺だね、
きっとそーだ、
ヤマゴローいなきゃ、
わたしは騙されなかったんだぞ、
本当だぞ」
「えへへ、急いで東京行って、
正解でした。
お姉さま、ありがとー、
だいすきにゃーん。
お金は、いつか返すんだにゃーん。
いざとなったら、
私の体で払ってやるぜ」
「はうはわ〜、
可愛いにゃーん。
私のにゃーん、
一生離さないにゃーん、
にゃーん、にゃーん、にゃ〜」

ぼくの毛並みを撫でています。
しっぽに触れたり、
指で模様をなぞったり、
顔を撫でたりと、
好き勝手にぼくの体で遊んでいます。
ご主人さまの慰みものでした。

「…にゃあ
(くすぐったいので、
やめてくれませんか?)」
「は〜わ〜にゃ〜んっ!
かわいいよぅ〜〜っ!」

やめてくれるどころか、
ほおずりされてしまいました。

ズリズリと痛く、心地よくはありません。

やめてほしいと、
「にゃーっにゃーっ!」
訴えるたびに
ご主人さまは、

「可愛い! 可愛い!」

さらに喜び、
力を強くしまいます。
たまったもんじゃありません。


「そうだ、ミルク飲むかな?
飲むよね、猫ちゃんだもん。
あげてみよっと」
「ガンダニャア、
ちょっと待っててね。
いま、ミルクを持ってくるよ」

ぼくをべッドの上に置いて、
パタパタと歩いていきました。

冷蔵庫から牛乳を取り出しました。
ご主人さまは
そのまま持ってこようとしましたが、
洋室の前で足を止めると、
再び戻っていって、
電子レンジのボタンを押しました。

「さあ、ミルクを持ってきたよ。
ジュゲムー、
温かいうちにお飲み。
ママの愛情いっぱいのミルクだぞー」

ぼくの前に、
肉球の模様がしてある猫用ボウルが置かれます。


鼻をボウルに向けますが、
湯気がほかほかに出ています。
温められたミルクは、
ぼくにはマグマのように感じ、
顔を逸らしました。

「ねぇ、なんで飲まないの?」
「あ、そっか、
飲み方が分かんないんだね?」
「このお皿はね、
ペットショップで買ったんだよ。
かわいいでしょ。
ニクキュー専用のなんだ。
んとね、ミルクはね、
こうやって、ペロペロ飲むものなの」

ご主人さまは、
舌を出してペロペロ上げ下げします。

そして、
見本を見せるべく、ミルクに舌を入れました。

「あちゃっ!
あちゃっ!
あちゃちゃちゃちゃちゃ、
あひぃーっ!」
「わたし
猫舌なの忘れてたぁーっ!」
「あーっ!
ジョニーだって猫舌なんだっ!」
「そうだよ、猫さんだもん、
猫舌じゃなきゃ、なに舌だ、
猫舌の反対ってなんだろ?
閻魔様の舌なのか。
それは嘘をついた時の舌だろ!」
「じゃあ、赤鬼舌に決定!
わたしもハニーも赤鬼舌じゃないのだ、
猫舌なのだっ!
わたしと猫ちゃん両想いにゃん!」

ご主人さまの思考回路は到底理解しえるものではありませんが、
ご自分の推理に納得した様子です。


「ミルクを冷ますね。
ふぅー、ふぅー」

顔をボウルの前に移動させると、
息をふぅふぅと吹いていきます。

温まったミルクに小さな波が出来ました。
さらにふぅふぅ吹きかけて、
鼻をくんくん嗅いでから、
おそるおそるとペロッと舌を入れました。

「うん、大丈夫。
わたしが平気だからシゲミチも飲めるよ、
一緒に飲もうね」



ご主人さまは、
カエルのように両手を床に付けて、
息で熱を冷ましながら、
舌を使ってミルクを飲んでいきます。

猫としては正しくとも、
人間としてあるまじき姿を晒しておりますが、
本人は至って真剣で、
しかも楽しそうにしております。

ぼくはぺろぺろに参加せずに、
ボウルに顔を突っ込むご主人さまを黙って眺めます。

「はっ、全部飲んでしまった!」

人間とは不思議な生き物であります。


第6回『ああああっ! わたしのお城が、とんでもないことにっ!』
に、つづくであります



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