第1話
3回『ご主人さまとの出会い』




「ねこにゃ〜ん」


ニャーニャーを真似たような、
しまりのない猫なで声が聞こえてきました。


うたた寝していたぼくは、
目をうっすらと開けて、
ガラスの方に顔を動かしてみると、




なんとも奇妙な人間のメスが、
はぁはぁとした息を鼻からも口からも出し、
蒸気機関車の煙の勢いでガラスを白く染めて、
ぼくのことを見ていました

人間とは誠に奇天烈、
風変わりな生き物であると思っていましたけど、
目の前にいるメスは
その中でも飛び抜けています。

これが、
世の言う美人に属していて、
ぷんぷんに発散させたフェロモンによって人間のオスたちを発情させ、
交尾を求める緊褌一番の愛のアプローチをするも、
「なんかやだ」
の一言で、
自殺寸前までに絶望させているんだそうですから、
なんとも不思議なものであります。

「はっう〜、
かわいいよ〜、
ねっこにゃ〜♪
にゃ〜、にゃ〜、にゃにゃ〜♪」

男を破滅させる美貌を持ちながらも、
恋愛への関心がてんで無い彼女でありますが、
猫であるぼくには興味を持ったようです。

彼女が言うには

「ねっこにゃ〜っ」

であります。
翻訳すれば、一目惚れです。

ぼくを恍惚と眺めながら、
さかりがついたように、
「にゃー、にゃー、にゃー、にゃー、はにゃ〜っ♪」
と鳴きどおしであります。

その鳴き声はぼく以上に
猫らしいものでした。


「よければ、抱いてみますか?」
「えっ?」
「いいのっ!」
「はい、いま連れてきますから、
ちょっと待っててくださいね」

ペットショップのお姉さんは、
ぼくを連れてくると、
奇妙な人間のメスに渡しました。


「ふわふわだぁ〜、
はぁわぁわぁ〜〜っ!
ねっこにゃ〜ん!
はぁ〜わ〜にゃ〜っ!」

メスは、
ぼくをがっしり抱きしめると、
顔をほおずりとさせて、
人間語ではない未知なる言語で喜びを表現していきます。

何が嬉しいのかは分かりませんが、
こっちとしたら息苦しいだけなので、
両手をジタバタとさせて、
逃げだそうとしました。

「あまり、強く抱かないで、
猫が潰れてしまいます」
「あのっ!
この猫ちゃんください!
奮発して3万円で買います!」
「13万円なんですけど」
「もういっちょ、3万4千529円!
「ですから、10万円足りません…」
「はぅ〜、わたしの全財産なのに…」

 べそをかいていました。
落胆により、
ぼくを掴んだ両手の力が緩んでくれたので、
息が楽になりました。

ほっとした拍子に、
「にゃあ」

と、声が出てしまいました。

「ねぇねぇ、いまのにゃあ聞いたっ?」
「ええ」
「この子も、
わたしのこと気に入ったってっ!
これは
わたしに飼ってもらいたいって言ってるんだよ」
「そうなのかもしれませんね」
「でしょでしょ、そうだよねっ!」

そうではない、
息が楽になったからですと
説明したくてうずうずしますが、
人間に猫語は理解できません。

言ってないのに、
言ったこととなる。
ぼくの
ひと「にゃあ」が、
人間の都合のいいように解釈される。

これは今後とも散々に起こる、
困った事態なのであります。


「これは運命ってやつでしょ。
だから、わたしにくださいなっ!
「わかりました」
「やった〜〜〜〜〜っ!」
「13万円です。
払えるようになったら是非お越し下さい」
「いじわる」
「常識です。
ここの動物たちは売り物なんですから、
買ってくださらなければ、
さしあげることはできません」
「この子いらないって、
外に放り投げてくれませんか?

わたし、拾うからっ!
「しません。
ちゃんと買っていただかないと……」
「うう、そうだよね。
そうですよね。
わたしだって分かっているんです。
ごめんね猫ちゃん、
君のこと欲しいんだけど、お金がないんだ」
「買い手がいるまで、
この子は、ここにいますから。
いつでも、
いらしてくださいね」
「せめて抱かせて下さい、
15年ほど
「5分間だけです」

名残惜しそうにぼくを返したのは
20分以上してからでした。


猫の性質上、
一度お会いした人間は、
大抵忘れてしまう健忘症のぼくでありますが、
そのメスに関しては忘れる暇などありません。
彼女のインパクトある性格がゆえなのもありますけれど、

「ねっこにゃ〜っ」

毎日、
2、3回は顔を出すようになったからです。

どんな間抜けな猫であろうと、
忘れるなど至難の業でしょう。

ガラス越しにいるぼくに向かい、

「にゃ〜にゃ〜にゃ〜っ」

自分が人間なのを
否定するかのように鳴いています。

「ままー、
あのお姉さん、
にゃあにゃあ、いってる」
「こら!
見てはいけません」
「また、あの姉ちゃん来やがったぜ。
にゃあにゃあ、
見てるこっちが、
恥ずかしくなってくるわ」

周りにいる人間、
ネコたちの失笑などお構いなしです。
他人の反応など気にせず
本能のままに活動する気質なのでしょう。
発情した雌猫が、
雄猫にすり寄るような鳴き声を上げるのですが、
その言語は猫であるぼくでも、
通訳者を雇いたくなるほど意味不明でありました。

世界中のどんな生物でも理解できない、
彼女特有の猫語をマスターしておられるようです。


「ねっこにゃーん」

ペットショップは、
駅の改札を抜けて直ぐの所にあるようで、
人間のメスは
大学に通うとき、
帰るとき、
バイトに行く時に、
必ずぼくに会いに来るのが
習慣となっていました。


「んー、ちょっと下がってきたけど、
まだまだ高いなあ。
激安特売超セールってことで、
8万円ほど下がってくれるとか
あればいいのに」
「ネコちゃん、
またくるね。

…買われませんように」

最後の言葉は、
いつ
もそれでした。

彼女は、
ぼくを買える値段になるまで、
ひたすら待ち続けると、
決めたようです。


「よう。
俺、やっとのことで、
飼い主ができたわ」
それは、喜ばしいことですね。
おめでとうございます」
「そろそろヤベェと
思っていたころだからな。
まったく、拾う神ありだわ」
「あなたさまのことを、
お気に召したお方です。
さぞ、素晴らしい飼い主であることでしょう」
「ところがどっこい。
さえねぇ、
一人暮らしのオスなんだわ。
彼女振られて、
寂しいからって、
ペット欲しくなったそうだ。
俺を選んだのも、
売れ残りで、
いちばん安かったって理由だ。
まあ、色々いいなりに出来そうな奴なんで、
こき使ってやるぜ」
「羨ましいです。
ぼくもはやく、
ネコたちを軟禁する
けしからんペットショップから出て、
外の世界を見てみたいものです」
「あの姉ちゃんに、
早いとこ
もらわれるといいな」
「あの姉ちゃん?」
「毎日、毎日
他のネコなど目もくれず、
おまえに会いに来ている姉ちゃんがいるだろ?」
「あのメスのことですか。
彼女が、
ぼくの飼い主になるのでしょうか?」
「そりゃ、しらねぇけどよ。
いつも会ってんだ、
情ぐらい、感じるだろ?」
「ぼくは、
こっから出してくれるのなら、
誰でもいいでありますよ」
「ったく、
あの姉ちゃんが聞いたら、
泣くぜ」
「ですけど、あのメスが、
ぼくを狭い世界から開放してくれる
唯一の人だと確信しています。
ぼくは、
その日が来るのを待つのみですね」
「その日がやってきて、
おまえのご主人さまになってくれるといいな」
「ご主人さまですか?」
「そうだ、ご主人さまだよ」

それ以来、
ぼくはあの人間のメスのことを、
「ご主人さま」
と呼ぶようになりました。


奇跡的なのでしょうか。
それともぼくは、人気のない猫なのでしょうか。
ご主人さまの
「買われませんように…」
の祈りが通じているのか、
春が過ぎて、
猛暑の夏がやってきて、
熱が冷めぬ秋に入っても、
ぼくは一向に買い手がつきません。

売れ頃の時期を過ぎたぼくは、
ご主人さまが初めて抱いてくれた時とは違い、
ショーケースが窮屈になるほど成長していました。
上下の足を同時に伸ばすことが出来ません。
ろくな運動が出来ずに、
体がうずうずするので、
ストレスが溜まる一方です。


「よしよし。
またちょっと下がったよ。
ネコちゃん、
まってて、
もうちょっと、もうちょっとだから。
わたしが必ず、
ここからだしてあげる」


ご主人さまは、
ぼくに飽きることも、
見捨てることもありませんでした。

日々成長するごとに、
値段が下がっていこうとも、
貧乏学生のご主人さまにとって、
ぼくは高級すぎて手が届きません。

買える金額になるまで、
じっと待ち、
ひたすら通い続けてくれます。







「このネコください」

しかし、望まぬ結果となりました。


「ください」と言いながら、
ガラスケースにいるぼくを指さしたのは、
ご主人さまではなく、
四十代ほどのオスでした。


「え?」

タイミングが悪いことに、
その場には、
バイトに向かう途中に、
ぼくに会いに来た
ご主人さまがいました。




第4回『ネコちゃんはいただいた!』
に、つづくであります



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